【エルコンドルパサー】神の翼を持った世界最強のコンドル

平成の名馬

1969年スピードシンボリの初挑戦からおよそ半世紀が経過した。4度の2着が最高成績で未だ日本馬の優勝は無いが、現在の国内最強クラスは世界の強豪とアウェーで戦っても圧勝するレベルに到達した。

もはや日本馬にとって凱旋門賞制覇は夢ではない。

今日はそれを最初に我々に認識させた名馬をご紹介しよう。

彼の名はエルコンドルパサー

エルコンドルパサー

プロフィール
生誕1995年3月17日
性別
キングマンボ
サドラーズギャル
母の父Sadler’s Wells
生産者Takashi Watanabe
馬主渡邊 隆
調教師二ノ宮敬宇
主戦騎手蛯名正義
生涯成績11戦8勝
主な勝鞍’98 ジャパンカップ ’99サンクルー大賞
国内成績
  • 新馬戦:東京ダ1600m。出遅れから直線だけで7馬身差圧勝。
  • 500万下:中山ダ1800m。9馬身差。
  • 共同通信杯:東京ダ1600m。降雪によりダートで施行。
  • NZT:東京芝1400m。初芝も完勝。
  • NHKマイルⅭ:東京芝1600m。危なげなくG1初勝利。

ここまでは5戦5勝の負け知らず。朝日杯3歳S(G1)を勝ったグラスワンダーが離脱していた事から春は的場均騎手がパートナー。秋を迎え、グラスワンダーの戦列復帰に伴い蛯名正義騎手とコンビを組むことになる。

  • 毎日王冠:東京芝1800m。伝説のレース。初の敗戦。
  • JC:東京芝2400m。女傑エアグルーヴ、同期のダービー馬スペシャルウィークを撃破。

毎日王冠で異次元の逃走劇を披露したサイレンススズカは天に召され、エルコンドルパサーは同期のグラスワンダーやスペシャルウィーク同様、次世代の王者としての期待が寄せられた。

しかし、エルコンドルパサーはもう国内で走ることは無かった。彼は次世代の王者ではなく、世界王者への道を選んだのだ。

『凱旋門賞を勝ちに行く』

引用:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第71話

フランスへの飛翔

ホームのJCでは日本馬の優勝も珍しい事ではなくなり、シーキングザパールやタイキシャトルといった伝説級の名馬がフランスでG1競争を制覇。「世界に通用する強い馬づくり」は実を結び始めていた。

それでもなお、当時はまだ凱旋門賞は御伽噺の世界のレース。如何にエルコンドルパサーが強いと言えどそれは国内での話。欧州全土の強豪が集う凱旋門賞など勝てるわけがないという声も少なくはなかった。しかし、時代の先駆者達はそもそもの発想が違う。

『エルコンドルパサーを欧州仕様の馬にする』

こうしてオーナーブリーダーである渡邊、調教師の二ノ宮ほか数名の関係者によって凱旋門賞制覇へ向けた長期遠征計画が立てられたエルコンドルパサーは1999年4月14日に日本を出国、翌15日にフランスの地に降り立つ。

調教初期は芝の長さに苦労していたエルコンドルパサーだが、徐々にフォームや筋肉の付き方が変化。関係者の思惑通り、欧州仕様となっていった。

本番までの3戦
  • イスパーン賞:クロコルージュの2着。
  • サンクルー大賞:海外G1初制覇。2馬身半差の快勝。
  • フォワ賞:名牝ボルジアを差し返して勝利。

3戦を終えた頃には、現地でも優勝候補の1頭として数えられるようになる。

1999 凱旋門賞

ライバル
  • 同年のフランスダービー馬モンジュー
  • 古馬世界王者に君臨するデイラミ

この2頭を退けることがエルコンドルパサーに課せられた最後のミッションだ。

相手にとって不足は無い。

「世界最高峰のレースである凱旋門賞で時代の世界最強馬を打ち負かすんだエルコンドルパサー」

パドックから本馬場へと向かう彼に、私は心の中から静かにエールを送った。

尋常ではないオーラを醸し出すエルコンドルパサー(本馬場入場時)

2頭の最強馬

スタートはモンジューのペースメーカーであるジンギスカンが逃げないという意外な幕開け。スピードが違うエルコンドルパサーが好発から逃げる形でレースは流れる。モンジューは5~6番手、デイラミはやや後方寄りを進む。

フォルスストレートを抜けても軽快に逃げるエルコンドルパサーは先頭のまま最後の直線に入り、後続を突き放しにかかる。当然こちらは絶叫だ。
日本馬が世界一強いと証明される場に立ち会えることほど名誉なことはない。

あと少しだ!

頑張れパサー、頑張れ蛯名!

 

・・・

 

大人しくしててくれ

日本競馬の悲願へ向けて驀進するエルコンドルパサーの篩に掛けられ、なおも襲い掛かって来れたのはモンジューのみ。デイラミは遥か後方だ。

一完歩ごとに差を詰めるモンジューは残り100mで遂にエルコンドルパサーに並び、そして交わす…

半馬身の差が着いたところが無情のゴールだった。

途轍もなく打ちひしがれた瞬間だったが、同時に日本人としてエルコンドルパサーと蛯名が本当に誇らしかった。

モンジューを管理するJ.ハモンド師は「モンジューにとって好条件が揃っていた。硬い馬場だったら敵わなかったかも知れない」とコメントを残し、現地メディアは後に『2頭のチャンピオンがいた』と讃えた。

そしてこのレースを最後にエルコンドルパサーはターフに別れを告げる。

 

 

 

 

 

引退後

引退式

引退式は同年のJC当日の昼休みに行われた。このJCには凱旋門賞馬モンジューの参戦もあり大きな注目を集めたが、「エルは俺の3馬身前にいたぜ?」とでも言わんばかりに見事な返り討ちにしてみせたのは同期のスペシャルウィークだった。

種牡馬成績

2000年より種牡馬となったが2002年に死亡。僅か3世代の産駒の中からヴァーミリアン(G1・9勝)をはじめとする3頭のG1勝ち馬を輩出した。

顕彰馬

2014年 顕彰馬に選出される。

愛称
  • エルコン
  • 怪鳥
まとめ
  • 最強馬論争があると常に名前が挙がるレベルの最強馬。
  • 本来有り得ない超近親配合から爆誕。
  • 日本馬が世界のどこへ行っても勝負になることを示した。
  • 国内で一度も走らず年度代表馬に選出される。(1999年)
  • 芝でもダートでもほぼ無敵に近い。
  • 同期は化け物揃いの元祖最強世代。
  • この年の凱旋門賞で筆者は70万負け。

 

新馬戦と500万下の連勝内容がケタ外れ過ぎて追わずにいられなくなった思い出深い馬。

エルコンドルパサーに関するコメントは大歓迎です。

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